『鬼滅の刃』も読む人が違うと解釈がまったく異なることがわかった話

こんにちは、taikiです。

今年も終わりが見えてきましたが、2020年は誰がなんと言おうと漫画的には『鬼滅の刃』の年でしたね。

いろんな人がいろんな切り口で「俺の鬼滅」を語っていました。

その中で、小説家の石田衣良さんが自身のYoutubeチャンネルで「俺の鬼滅、無限列車編」を語っていたのですが、共演者の若い方とのギャップが大きくてメタファーの解釈がまったく通じていないのが面白かったのでとりあげてみようと思います。

石田衣良さんの「俺の鬼滅」は特攻隊

石田衣良さんの「俺の鬼滅」の解釈は、非常にシンプルでした。

鬼:西洋人
鬼殺隊:特攻隊
刀:大和魂

この構造を最初の方にヒントを出しながら共演者を誘導するように聞くのですが、まったく伝わらない。。。


2:34あたりです。

大和魂的なモノは日本人には響くなぁと仰っているのですが、イマイチ共演者には響いていないように見えました。

作者の吾峠呼世晴先生も1989年生まれで、鬼滅執筆時は20代だし、その西洋人と特攻隊のメタファーを落とし込んだかなぁと言われると「?」となっちゃいます。

石田衣良さんが、吾峠呼世晴先生のデビュー作にそう書いてあるって言っているので私も読んでみました。

確かに、『過狩り狩り』の中で、海外から来た吸血鬼として鬼が登場はしますが、日本製の鬼もいるし、鬼が西洋人のメタファーという解釈はちょっと強引かなぁ。

鬼の植民地支配はまだいいとしてもルーツである鬼舞辻無惨は日本由来だし、鬼殺隊は死ぬ確率は高いけど、結果的に死ぬことと100%死ぬ前提の特攻隊とは違う。

動画の中で、話が噛み合わず、自分が考える答えに全くたどり着かない共演者にイライラしている石田衣良さんのギャップにリアリティーを感じつつ、世代の違い(石田衣良さんは1960年生まれ)が綺麗に出ちゃったのかなぁなんて思いました。

昔の小説の中に戊辰戦争でどっち側で戦ったみたいな話が出てくるけど、きっと今の60代には戊辰戦争は響かない。それと同じぐらい、今の若い人に特攻隊や大和魂といっても響かないんだろうなぁ。

俺解釈の「俺の鬼滅」は欲望のメタファー


私の解釈は、既にこのブログでも述べているように鬼のメタファーは人間の欲望。

響凱は承認欲求だし、蛇姫と妓夫太郎は嫉妬だし、猗窩座は金銭欲だし、累は仲間がほしいという所属と愛の欲求でした。

そして、『鬼滅の刃』の考察記事の中に、映画化された無限列車編の話を取り上げていません。

鬼である下限の壱の回想シーンがなくて、何を考えているのかわからなかったからです。

唯一、回想シーンのない鬼なんですよね。

同じ作品であってもこうやって解釈がまったく違ってくるんだから漫画考察はオリジナリティーが無限に出せる領域なのでしょう。

オリジナリティーの無限列車!!(言いたかっただけ)

解釈に正解はない

『鬼滅の刃』8巻より(C)吾峠呼世晴/集英社


と言いつつ、もちろん石田さんの解釈はそれはそれで正解とか不正解はないわけです。

逆に一瞬でも、「その解釈は違うんじゃない?」と否定的に思った自分のことが「ああ、痛いヤツ」と反省しました。

100人いたら100通りの解釈があるのは当然であって、面白い作品が面白い理由は、こういった解釈が何通りも出来るからなのでしょう。

まとめ:もっと俺の○○を語ろう

今回は漫画の考察というよりも、作品の解釈が人によって全く違うと言う話でした。

鬼滅の刃はいろんな人が「俺の鬼滅」を語りつくしている一方で、「俺なんかが『俺の鬼滅』の鬼滅を語った所で意味ないよなぁ」と思っている方もたくさんいるはずです。どんな感想だっていいのですから、積極的に語っちゃいましょう。

また、こんな切り口で鬼滅の刃を語る天才patoさんもいらっしゃいます。

Amazonで「鬼滅の刃」のコミックを買ってしまったのに、どうしても読み始める気になれない。
「鬼滅の刃」が絶好調だ。   あえて説明する必要もないが、劇場版の興行収入がえらいことになっていたり、単行本の売り上げがドえらいことになっていたり、最終巻を求めて長蛇の列ができたり、めちゃくちゃ転売されたり、わ…

多くの人が自分独自の「俺の鬼滅」を語るようになれば、いろんな作品を受け入れる土壌ができますし、いろんな視点で物事をみることも出来るようになるでしょう。

みんなの「俺の鬼滅」を聞かせてください。

オマケ

完結したから一気読みにも最適です。

石田衣良さんが『鬼滅の刃』に『永遠のゼロ』を重ね合わせていたようです。

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