【鬼滅の刃】強さや金を求めるのもいいけど、やりすぎると鬼になっちまうよって話

こんにちは、taikiです。

鬼滅の刃も早いもので第4回。皆様お待ちかねの猗窩座について取り上げてみようと思います。

猗窩座といえば煉獄さんを倒し、2度に渡って鬼滅隊と死闘を繰り広げました。

『鬼滅の刃』8巻より(C)吾峠呼世晴/集英社

また、鬼になる前の人間の描写にも多くのコマを使っていて作者の想いもふんだんに乗っている鬼ですね。

猗窩座は強さに飢えていました。その一方で女性を食べない、強いものには敬意を払うと言った人間っぽい部分も残っていました。

猗窩座の人格と強さへの飢えは、「金を稼ぐこと」と解釈すると猗窩座の葛藤が見えてきます。

強さへの欲望は「金を稼ぐことへの欲望」というメタファーで読み解いて行きましょう。

*ネタバレがあります。ご注意ください。

 
 
 
 
 
 
 
 

猗窩座の追い求めた強さとは大切な人を守る力、現代でいけば金を稼ぐ力

猗窩座は強さを追い求めました。

強さを求めた背景には、人間だった頃の父親を失い、師範・恋人を失った苦い経験から来るものでした。

大切な人を守るためには強さ(≒金)は必要だ

猗窩座は病気の父に薬を飲ませるために、盗人として悪さをしました。

そして、悪さをしても大丈夫なように強くなるという間違った方向に進んでしまいました。

『鬼滅の刃』18巻より(C)吾峠呼世晴/集英社

 
 

父は、悲しみ自ら命を絶ってしまいました。

『鬼滅の刃』18巻より(C)吾峠呼世晴/集英社

子供だった当時の猗窩座が子供なりに考えてたどり着いた「強くなる」という結論は、現代に置き換えれば「金を稼ぐ」だったのでしょう。

もっと強かったら(≒金を稼げたら)父親を助けられたかもしれない。

弱い(≒金を稼げない)やつに生きる資格はない。

『鬼滅の刃』18巻より(C)吾峠呼世晴/集英社

自暴自棄な暮らしをしていましたが、師匠に出会い、大切な恋人も出来て、人生をやり直します。

『鬼滅の刃』18巻より(C)吾峠呼世晴/集英社

将来を誓いあった恋人にも、「強くなって一生あなたを守ります」と言いました。

そ、それは、、、

強さ(≒金)だけじゃ大切な人は守れない

猗窩座の所属する道場が気に入らない人達は猗窩座の不在時に井戸に毒を盛りました。

そして、その毒によって猗窩座の師範と恋人はなくなりました。

猗窩座は道場で稽古を積んで強くなりましたが、師範と恋人は守れませんでした。

『鬼滅の刃』18巻より(C)吾峠呼世晴/集英社


賢い相手は、直接戦っても勝てない相手とは直接戦いません。

『鬼滅の刃』18巻より(C)吾峠呼世晴/集英社

2000年以上前に孫子もこんなことを言ってます。

孫子の兵法から抜粋:
「百戦百勝は善の善なるものに非ず。戦わずして人の兵を屈するは善の善なるものなり」

超訳:戦わないで勝つのが最強!

強さを求めること(≒金を稼ぐこと)自体は悪いことではありませんが、それ単品ではやはり足りないのです。

現代に置き換えれば、金を稼げるだけでは大切な人は守れないのです。(もちろん、守るためにあったら心強いものではある)

最後に気付いたのは必要以上の強さ(≒金)はいらないこと

死ぬ間際に、人間の記憶が蘇り、こんなセリフを言われます。

『鬼滅の刃』18巻より(C)吾峠呼世晴/集英社

そこではじめて自分が弱く、それを受入れられなかったことに気付きました。

猗窩座は無駄な殺戮を100年やったと反省しました。

『鬼滅の刃』18巻より(C)吾峠呼世晴/集英社

100年以上かけて、死ぬ間際になって、はじめて本当に大切なことに辿り着きました。

『鬼滅の刃』18巻より(C)吾峠呼世晴/集英社

強さ(≒金)だけの人生は無意味であり、それ以上に大切なモノを最後の最後に理解しました。

現実世界の猗窩座はゾニキ!?

現代社会にも猗窩座のように何かを追い求めて偉大なことを成し遂げたとしても、その後、迷走している(ように見える)人はいらっしゃいます。

最近の事例で言えば、元ゾゾタウンの前澤さんかもしれません。

ゾゾタウンを創業して偉大な業績を収めましたが、最近は1000億円を通帳に記入したり、10億円をバラまいてタイムラインを占拠したり、ちょっと痛々しく感じます。

独り身で何かを追い求めている感じが、猗窩座に被るのは私だけ??

このままだと「1000億円記帳した人」「10億円バラまいた人」「月に行くとか言ってた人」みたいな印象が深く刻まれてしまいますよ。

まだ若いし、能力もある方なのですからもう少し方向性を考えて欲しいなぁ。

鬼にならないで!

まとめ:高みを目指すのはいいが大切な人が望むものを見失ってはいけない

『鬼滅の刃』18巻より(C)吾峠呼世晴/集英社


父はまっとな人生を息子に望み、恋人は平和な暮らしを望みました。

しかし、猗窩座は強さの高みを求めて100年以上彷徨ってしまいました。

自分にとって大事な高みも、大切な人からみたら意外と大した事じゃありません。

自分のやりたいことに夢中になることはとても良いことですし、物事に没頭しているフロー状態は幸福感をもたらします。

しかし、1人で生きているわけではありません。

大切な人が何を望んでいるかをたまにでいいので考えましょう。

そのバランスをうまく取れた先にこそ、本当の高みはあるのではないでしょうか。

以上「【鬼滅の刃】現代の強さとは個人で金を稼ぐ力!必要以上に稼いでしまった鬼「猗窩座」」でした。

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