こんにちは、taikiです。
『チェンソーマン』考察第二弾として、二項対立という切り口で読み解いてみます。
作品の中で、対立する概念として、「人間と悪魔」を筆頭に、「悪魔の転生vs一度も転生していない超越者」などのように二項対立がよく出てきます。
二項対立(にこうたいりつ、英:dichotomy、binary opposition)
論理学用語の一つ。 陸と海、子供と大人、彼らと我々、臆病者と英雄、男らしさと女らしさ、既婚者と独身者、白と黒、運動と静止、明と暗のように、相対立する一対の概念を二項対立という。
出所:Wikipedia
今後のストーリーの鍵になりそうな大きな二項対立を取り上げて解説しますので、ストーリーの展開予想や解釈の参考にしてみてください。
最新話周辺(コミック10〜11巻相当)までのネタバレあります。まだ読んでいない方、ネタバレが嫌な方はお引取りください。
チェンソーマンの根底にある二項対立
いろんな二項対立がありますが、ストーリーの大きな方向性に影響のありそうな大きな概念を2つ紹介します。
「知らない幸福」と「知る苦しみ」
『チェンソーマン』の中には、知らないことの幸福と知ることの苦しみという二項対立が頻繁に登場します。
例えばデンジのこれ。
「夢は叶えるまでの方が幸せ」的なやつです。
夢を叶えた後に待っているモノは意外と淡白なものなので、実は知らないほうが幸せだった的な。
似たような話を刺客編でクアンシもこんなことを言っています。
そして、クアンシガールズのハロウィンという最強の技がこちら。
相手に膨大な知識を与えすぎると辛くなって、何も考えられなくなるという技です。
知りすぎの罠に落とし込む精神攻撃です。
半分ギャグなんじゃないかと思いつつも、ネット検索全盛の時代にいつまでも情報を求めて行動できない人に対する皮肉が込められていてちょっと恐いですよね。
元ネタは『魔女』とも『クトゥルフ神話』とも言われています。
これって前回で使ったマズローの欲求で言えば、「フェーズが進むとツラいことも高度化するから大変だ」とうことでしょう。
だからこそ、物語にもなるのですが、、、
マキマとマキマが戦っているモノ
現在、絶対的な強さでラスボス感を漂わせているマキマさんですが、マキマさんは何を考え、何と戦っているかを考えることも『チェンソーマン』を楽しむ上で重要な要素になっています。
マキマさんが彼女の思想について語ったシーンがこちら。
おお、人類をコントロールしようってか。
そして、マキマさんが戦う相手である「銃の悪魔」ですが、これは「銃」、「じゅう」、「じゆう」、「自由」と読み替えることができます。そして、アメリカ政府が「銃の悪魔」を使ってマキマさんに戦いを挑むシーンもあります。
一方で、マキマさんは支配の悪魔です。
支配の悪魔は、共産主義の独裁者(≒ファシズム)の象徴としてマキマさんを描いており、その対立軸の民主主義国家としてアメリカを描いているように見えます。
つまり、中国(≒マキマさん)がアメリカと戦っているという共産主義vs民主主義の構図に見えてきませんか?
マキマが見ているものは「最悪だけど他よりはマシ」と言われる民主主義に対する代替案としての賢者による正しい(と独裁者が勝手に思っている)独裁なのではないでしょうか。
マズローでいうと自己超越フェーズ同士の哲学的な高度な戦いです。
自己超越
自らを煩悩を超えて自分は何かもっと大きな存在の一部分なのだという悟りを得ること。
出所:ネット検索により俺作成
2つの二項対立から見えてくるとテーマと結末予想
主人公であるデンジは知らない幸福を謳歌していましたが、徐々に知ることの苦しみを知り始めます。
それと同時に知ることの喜びも少しずつ理解してきます。
その一方で、ヒロインとして主人公やその他の登場人物を虜にしてきてマキマさんの恐ろしさがわかりはじめて、ラスボス感が出てきてしまいました。
最新話ではマキマさんとの対決にデンジが挑みます。
これは、情報を遮断されていた共産主義国家で育った若者が真実に気付きはじめ、自由である民主主義に目覚めながら、自由を求めて戦うような構図に見えてきました。
こんなテーマが『チェンソーマン』の根底にはあるように思えました。
そうなってくると完結が近いと言われるチェンソーマンのエンディングもなんとなく絞れてきます。
この3つのどれかに落ち着くんじゃないでしょうか(もちろん、大ハズシする可能性も十分あります)。
展開予想
- アメリカが勝つ(デンジが自由に目覚めてマキマさんに勝つ)
- 中国が勝つ(デンジがマキマさんの元で快適に暮らす)
- どっちも勝たないで共存する
もっと長く楽しみたいから終わってほしくないけど、答え合わせは意外と時間が掛からずにできちゃいそうな気がする。
まとめ:『チェンソーマン』は現代の社会問題を落とし込んだ最高に知的な漫画
2つの二項対立で『チェンソーマン』を捉えることによってストーリーの根底にあるメタファーや作者が表現していることが薄っすらと見えてきたような気がします。
もちろん、私の勝手な妄想なので作者に聞いたら「そんなことは考えてない」と言われるかもしれません(「考え方としては面白い」と言われる可能性ぐらいはある、、、と思う)。
作者は日常生活で何かを見聞きし、考えたことをメッセージとして作品に落とし込むことはよくあります。
名作と呼ばれる作品はこのような解釈の余地が含まれている知的創作物です。
ぜひ、皆さんも作者の想いに想いを馳せて『チェンソーマン』の結末を予想しつつ、漫画や小説といったコンテンツを知的に楽しんでみてはいかがでしょうか。
以上、「二項対立で読み解く『チェンソーマン』【中国vsアメリカの話?】」でした。
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チェンソーマン第一部公安編とは、悪魔とは、チェンソーマンとはなんだったのかについて考察しています。あわせてお読みください!
コメント
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[…] 以前、こちらの記事でもマキマさんの支配の悪魔はファシズムのメタファーとして書かれているという話をしました。 […]