こんにちは、taikiです。
鬼滅の刃は「鬼は人間の欲望のメタファー」という切口で取り上げていますが、今回は吉原遊廓を舞台に潜む鬼「堕姫」と「妓夫太郎」を取り上げます。
この2人は「嫉妬」のメタファーでしょう。
見た目にコンプレックスを持ちつつ、喧嘩で風俗街で取り立て屋として暴れまわる兄と見た目を武器に風俗街で働く妹という鬼兄妹を描いています。
(兄妹なら見た目が似るんじゃないの?という疑問は置いておく)
嫉妬という感情は誰しもが持っていてそんなに恐ろしくもないのですが、嫉妬にゼロサムという考え方が合わさって、恐ろしい鬼を構成しています。
嫉妬とゼロサムという視点で見ていきましょう。
嫉妬の鬼「堕姫」と「妓夫太郎」
嫉妬の対象は自分の欲望そのものである
見た目にコンプレックスがある妓夫太郎は、天元の男前の見た目に嫉妬します。
また、天元の才能にも嫉妬します。
嫉妬の対象とは常に自分が足りていないモノ、欲しているモノの表れです。
見た目が足りないと思っている人は、見た目が足りてそうな人に嫉妬します。
才能が足りていないと思っている人は、才能が足りていそうな人に嫉妬します。
この感情自体は誰にでもあるのですが、「どうやったら足りない部分を埋められるかなぁ」と考えて克服してこそ、嫉妬の感情を前向きに使えます。
しかし、妓夫太郎は人への憎悪になって鬼として禍々しい姿として形成されてしまいました。
ゼロサムの発想が更に窮地に追い込む
更に嫉妬の感情をネガティブに加速させたのが、人から幸せを奪い取ったら自分が幸せになれるという発想です。
堕姫は「自分が不幸だった分は幸せな奴から取り立てねぇと取り返せねぇ」と言っています。
これはゼロサムの発想ですね。
ゼロサム
合計するとゼロになること。一方の利益が他方の損失になること。出典:MBA用語集を元に作成
堕姫の世界観では幸せの総量は一定であり、誰かが幸せになったら、その裏で不幸になる人がいるのでしょう。
確かにゼロサムの構造になる事象は存在しますが、少なくとも「幸福」に対しては当てはまりませんよね。
さすがの炭治郎も今回はダメだった
毎回、鬼のコンプレックスを開放するような一言を炭治郎は言うのですが、今回は何も出来ませんでした。
最後に、「兄弟なんだから仲良くしろ!」という雑なまとめ方です。
炭治郎だって万能じゃない(笑)
プラスサムの発想「近江商人の三方良し」
中世から近代にかけて活躍した近江国(現代の滋賀県)の商人の思想や哲学を表した言葉に「三方良し」があります。
三方良し(さんぽうよし)
「売り手良し」「買い手良し」「世間良し」の三つの「良し」。売り手と買い手がともに満足し、また社会貢献もできるのがよい商売であるということ。近江商人の心得をいったもの。
出所:デジタル大辞泉
これは現代風に言い換えると「WIN-WIN」でしょうか。(WIN-WINは2つの視点だから下位概念かも)
裏返せば「利益を1人で独占するような考えではいけない、当事者全員が利益を享受するように考えなさい」と言っているのでしょう。
堕姫のところで説明したゼロサムとは対象的なプラスサムの発想です。
プラスサム
合計するとプラスになること。一方の利益が必ずしも他方の損失にならないこと。出典:MBA用語集を元に作成
これだけ情報が民主化された現代においてもゼロサムの発想に陥ってしまう人がいる一方で、大正よりももっと前の時代に近江商人は逆の発想をしてビジネスで成功を納めていました。
もはや時代を超えた人間の真理なのでしょう。
まとめ:自分だけが得することは巡り巡って結果的に損をする
嫉妬の感情は人間であれば誰しもが持っている自然な感情です。
嫉妬の対象が人への憎悪になって、そこにゼロサムの発想が加わってしまうと鬼のような恐ろしい形になって自分に返ってきます。
嫉妬自体は自分の欲や願望を示してくれるシグナルとして捉えて、その欲や願望をどうやって埋めていくのかといった方向に思考を巡らせましょう。
そこに「三方良し」の考えを乗せられたら、嫉妬の感情なんて消えてなくなっているはずです。
ぜひ「堕姫」と「妓夫太郎」のようにダークサイドに堕ちずに、周りの人も含めて幸せにするような生き方をしましょう。
以上「【鬼滅の刃】人生が不幸になる嫉妬とゼロサムの鬼「堕姫」と「妓夫太郎」」でした。
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強さを追い求めた猗窩座を、強さ≒金と置き換えると面白い解釈が出来ます。あわせてお読みください。
コメント
[…] 響凱は承認欲求だし、蛇姫と妓夫太郎は嫉妬だし、猗窩座は金銭欲だし、累は仲間がほしいという所属と愛の欲求でした。 […]