こんにちは、taikiです。
「多様性」というワードをいろんなところで耳にするようになりました。「多様性」と聞くと「みんな違っていい」「個性を尊重」みたいなポジティブで耳障りがよく、優しい言葉のように聞こえます。
本当にそうなのでしょうか?
そんな疑問に真正面から持論をぶつけて否定するような小説、それが『正欲』です。
上っ面だけの薄っぺらい世間を本気でぶった切る、そんな素晴らしい作品でしたので、取り上げたいと思います。
5秒で理解できる『正欲』のあらすじ
『正欲』は主人公を中心に物語が展開するストーリーではありません。3人の登場人物から共通することを描いていく群像劇です。
群像劇とは
主人公にスポットを当て、それを取り巻く人々という見方で脇役を描くスタイルの劇ではなく、登場人物一人一人にスポットを当てて集団が巻き起こすドラマを描くスタイルの劇のこと。
出所:Weblio国語辞典
検察官で、不登校の小学生の息子を持つ寺井啓喜(テラダヒロキ)。
寝具販売員として働きつつ、自分が水フェチであることを誰にも言えずに悶々と過ごしている桐生夏月(キリュウナツキ)。
ルックスにコンプレックスがあり、男性が苦手な大学生の神戸八重子(カンベヤエコ)。
寺井啓喜の小学生の息子、泰希は不登校であり、真面目な寺井はなんとかして学校に通わせて、いわゆる普通の生活に戻したいと考えていました。
しかし、不登校仲間と意気投合した泰希は「学校に行くのは古い!」とYoutubeチャンネルを開設します(ゆたぼんですね)。
このYoutubeチャンネルがハブとなって、脈絡のない三人が緩くつながっていきます。
これ以上はネタバレになるので、ここまでにしておきましょう。
ここから先はネタバレがあります。
「多様性」というお花畑のゆるふわワード
この小説のテーマは「多様性」です。そもそも「多様性」ってなんでしょうか。
多様性(diversity)とは
幅広く性質の異なる群が存在すること。性質に類似性のある群が形成される点が特徴で、単純に「いろいろある」こととは異なる。
出所:Wikipedia
わかりやすいところだと「LGBTQを差別せずに受け入れて仲良くやっていこう」的な耳障りの良い綺麗な言葉です。
「多様性なんて綺麗事はねぇ!」というのが、本著のメッセージであることは最後まで読んだ方ならわかるでしょう。
最後の神戸八重子と諸橋大也との会話にすべてが込められています。
ここで神戸八重子についてもう少し掘り下げてみましょう。
ザックリ解説するとこんな感じ。
どうですか、この痛さ!
「水フェチ」というマイノリティー属性である諸橋大也は、八重子の上から目線で理解を示そうとする多様性信仰に我慢できずこんなセリフを言います。
私は理解者ですみたいな顔で近づいてくる奴が一番むかつくんだよ。自分に正直に生きたいとかこっちは思ってないから、そもそも。
お前らが大好きな〝多様性〟って、使えばそれっぽくなる魔法の言葉じゃねえんだよ。
自分にはわからない、想像もできないようなことがこの世界にはいっぱいある。そう思い知らされる言葉のはずだろ。
ストーリー終盤で爆発する諸橋大也のこのセリフにスカっとした気分になると同時に、「スミマセン!!私もどちらかと言えばそっち側でした!!」となる方も多いはず。
このやり取りを読むために、前半の長々としたストーリーを耐え忍んだとさえ思えてきました。
神戸八重子はめげない!多様性トークバトル
一方的に「お前、ウザい!!」と言われて、男性との交際経験もなく、自分に自信が持てない女性が好きな男性にこんなことを言われたら傷ついて落ち込むなり、泣き出すところでしょう。
しかし、ここで八重子は多様性トークバトルを受けて立ちました。
不幸だからって何してもいいわけじゃないよ。
別にあんたたちだけが特別不自由なわけじゃない。
私のお兄ちゃんは引き籠って気持ち悪いAVばっか観てるけど、マジでその視線が隣の部屋にあると思うだけで嫌だけど、それでも現実で誰かを無理やりどうこうしようとはしない。異性愛者だって誰だってみんな歯ぁ食い縛って、色んな欲望を満たせない自分とどうにか折り合いつけて生きてんの!
「甘ったれてんじゃねぇ!」と言い返しました。見事です。しびれました。
そして、議論タイムを経て決着を迎えます。
「じゃあ」その小さな口が開く。「また絶対、ちゃんと話そうね。私のことも、繫がりのうちに数えておいてね」大也は、自分でも驚くほど素直な気持ちで一度、頷いた。
諸橋大也が少し心を開きました。
快挙!僥倖!
しょうもねぇ女だなぁと思っていた八重子がやってのけました。このやり取りで私は八重子を見直しましたよ。
きっと、この時の八重子は美しかったことでしょう!!
ただ、残念なことに諸橋大也はこの後、児童ポルノの件で捕まってしまいました。
「水フェチ」仲間も見つかり、もしかしたら理解してくれそうな友人ができそうになったのに……残念です。
その後の神戸八重子を考えてこそ、『正欲』の理解につながる
『正欲』では、「多様性」というおめでたい概念に対して著者がズバズバと斬り込んで、多様性幻想を完膚なきまでに叩き潰してしまいました。この本を読んだ人は「多様性?ああ、あのおめでたい概念だろ?」となっていることでしょう。
著者、朝井リョウ氏は『正欲』を通じて「多様性とは何なのか」という現代社会に大きな問いを投げかけることに成功しました。
その一方で、その問いに対する具体的な答えは提示しておりません。
朝井さんに聞いたら「そんなもんは自分で考えるんだよぉ!」と言われそうです。
なので、私は考えました。
おそらく、この問いには、その後の神戸八重子がどういう行動をとったのかを考えることにヒントがあるだろうと私は考えました。
その後、神戸八重子はどうなったのか。
最後のエンディングのシーンを振り返ってみましょう。
八重子は大学の学食でこんなことを思い出します。
あのとき自分がどうにかして彼を止めていれば、あんなことにはならなかったのではないかと思う瞬間がある。同時に、あのとき自分が彼を止めなかったから、彼があれからも生き延びられているのではないかと思う瞬間もある。
要は、止めていたら逮捕されなかったかもしれないけど、止めなかったから大也らしく生きれているのかも、と。どっちが正解だったのか自分でもわからないわけです。
そして、久しぶりにあった友人との会話によって、諸橋大也の事件はタイムライン上を流れ去ります。
両目を善意で輝かせた友人が〝頭おかしい人の暴走〟と断じたニュースは、いつの間にか、ブラックアウトした画面の奥へと消えてしまっている。
その後の神戸八重子はどうしたのか2パターンが考えられるのではないでしょうか。
パターン1:大也はTLに飲まれて消えて「多様性!繋がり!」とおめでたく生きる
タイムラインを流れるニュースが如く、諸橋大也のことも流れていき、「そんな気持ちの悪い人もいたなぁ」と不可解な事件を目にする度に思い出す程度になる。
その一方で、「多様性!繋がり!」と何も生み出さないゆるい概念にすがり、コンプレックスを抱えたまま大人になり、気がつけばアラサー独身みたいな人生を送ります。その成れの果てはフェミニスト!?
正直、こんな神戸八重子はみたくない!!
パターン2:大也のよき理解者としてリアルに寄り添う
もう一つ考えられるパターンは、「事件後に諸橋大也に直接会って話を聞き、良き理解者として大也に寄り添う」です。
諸橋大也は水フェチなだけであって、児童ポルノとは無関係です。証拠不十分として釈放されるでしょう。もちろん、世間からは冷たい目線を浴びせられます。
完全無欠のイケメンと思われた諸橋大也は社会的な傷を負ってしいましたが、八重子にはチャンス到来です。
留置所に八重子が面会に来てくれて「あの時、言っていた繋がりについて聞きに来た」と言おうものなら、諸橋大也もホロッとくるでしょう。そして、桐生夏月ばりに「いなくならないから」と伝えるわけです。これでこそダイバーシティフェスをやった意味がある!
「大也は悪いことはしてないし、ずっとツライ想いしてきたの!!みんな多様性とか言って、なにもわかってないじゃん!」と八重子が諸橋大也と共に胸を張って生きる。素晴らしい。
私はこっちだと思う。いや、こっちであってほしい。こっちであれ!!
『正欲』の主役は神戸八重子でした。
つまり、問いの答えは、「多様性とは社会的に受け入れがたいものも受け入れる茨の道。俺たちはそれを生きるんだ」なのではないでしょうか。
その覚悟がないやつは多様性という言葉を口にしてはいけませんねー。
他の人物はどうなったのか
桐生夏月にしても佐々木にしても寺井にしても基本的に人格とアイデンティティが出来上がっているので、この人達のその後の行動はブレることはないでしょう。桐生夏月も佐々木もマイノリティーとして、ひっそりと生きていきます。
もしかしたら寺井はやらかすかもしれません。終盤の桐生夏月との面会で「馬鹿にしやがって×3」とご立腹でした。
その怒りが奥さんに向かって暴れちゃったら、離婚。
怒りを抑え込めたとしても、夫婦関係は冷めきって、奥さんが浮気して離婚。
浮気しなかったとしても、晩年離婚。
いずれにしても寺井も試されていますが、社会的地位もあり、性格的にそれを投げ捨てるようなことはしないので、せいぜい離婚ぐらいでその後を考察しても面白みにはかけますね。
気に入ったフレーズ、セリフ
世界はきっとこれからますます、自分はまとも側の岸にいると信じている人が不適切だと定めたものを排除していく方向に進んでいく。「子どもに悪影響を及ぼす可能性」、「不快な気持ちを与える可能性」、「社会にとって良くない思想を助長する可能性」という、どう足搔いても完全に消し去ることのできない〝可能性〟を盾に、規制の範囲は広がっていく。
すぐに炎上するネット社会はこれですよね。ナイーブでヒステリックなSNS社会を見事に表現しています。
テレビの中では、家庭を持った途端そのプロフィールを引っ提げてコメンテーターをやるようになったお笑い芸人たちが、【後輩にもこういう感じの人たち、すごく増えてます】【時代は変わったなって思いますよね】などと、攻撃されることを意識するあまり結局どこにも届かない発言に終始している。
この毒にも薬にもならない発言ばかりのテレビを皮肉っていますね。皮肉を言わせたらこの人はスゴイ。
他にもたくさんあるけど、息苦しいホワイト社会のつまらなさ、くだらなさを言語化してくれて気持ちいい表現が多かったです。
まとめ:『正欲』とはホワイト社会に潜むブラックを突く作品
「多様性」をテーマにした作品ですが、それだけでなく、SDGsとかCSRといったクリーンで耳障りのよい言葉にまみれた似非ホワイト社会に対して、「そんなユートピアはないんだよ」ってことを伝えています。
これからも人類は新しい概念を次々と生み出してくると思いますが、本当にそれは意味があるのか、雰囲気でなんとなく綺麗なことを言っているだけかは自分で判断しなくてはいけません。そのときに『正欲』を思い出すことができれば、物事の本質に辿り着けるはずです。
以上「『正欲』朝井リョウ あらすじと考察【神戸八重子のその後は?】」でした。
合わせて読みたい作品
朝井リョウ作品
朝井リョウの代表作であるこのあたりを読みましょう。
テイストが近い作品
多様性問題というか、普通に生きられないことをテーマにした作品といえば、稲中卓球部で有名な古谷実作品ではないでしょうか。
古谷先生の『ヒメアノ~ル』は、コミカルに話が進みつつも、普通に生きられないことの辛さを取り扱った作品です。
『正欲』では「水フェチ」でしたが、「水フェチ」が「殺人」になると『ヒメアノ~ル』になります。
そして忘れてはならないのが『ジョーカー』です。本作品もマイノリティーという弱者が社会正義に追い詰められてジョーカーというモンスターになっていく様を描きます。「多様性」を嘲笑うような展開ですね。
私はそう感じたのですが、どうでしょうかね。ぜひ、両作品とも手にとって読んでみてください。
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